2008年3月23日日曜日

お城まつりと早咲桜、そして犬山祭

昨日今日ととても暖かく、春本番を迎えています。


さて、今日は、10時から、犬山お城まつりのオープニングを兼ねて、余遊亭6周年記念事業が開催されました。多くの人で賑わっていました。余裕亭は、余坂木戸口まちづくり拠点施設として整備され、地元の方々が運営委員会を設け、管理されています。







平成14年3月に設置され、一階に和室二部屋、二階に板張りの多目的室があります。城下町には、ほかに「しみんてい」「どんてん館」「旧磯部邸」といったまちづくりの拠点施設があります。



犬山城天守閣から南を眺めると、碁盤目の町割が目に入り、濃尾平野が扇状に広がっています。南から一直線に延びる本町通りのまちなみを目にすることができます。犬山のまちは、江戸時代の町割がほとんど変わることなく残されており、全国的に見ても貴重な存在だそうです。

犬山城の南一帯は、丸の内と呼ばれる武家地でした。福祉会館の建つ場所が大手門跡となっており、そこの信号交差点角に「しみんてい」があります。

大手門跡から南が町人地として町割された場所で、整然とした区画が続いています。大手門跡から南に延びる通りが、本町通りで、本町・中本町・下本町・外町で、外町に城下の木戸が置かれていました。ここに「余遊亭」があります。

本町(T字路の角に有名な「山田五平餅店」があります。)と練屋町を結ぶ東西方向の道は魚新通りと呼ばれ、本町の東に新町があり、その東に魚屋町があり、木戸の外が余坂となります。


その後、犬山白帝杯少年剣道交流大会へ移動。9時30分から共催事業として開催されました。勝ってうれしさ満面の笑顔、負けて悔し涙の顔。一生懸命今日のために練習を重ねてきた子どもたち。みんなとってもいい顔していました。


続いて、犬山の早咲きの桜を訪ねてみました。場所は、犬山城下へと続く郷瀬川沿いの遊歩道です。すでに数本桜が咲いていました。2~4分程度でしょうか。




昨年は、桜の時期に冷え込みがあり、長く咲いていてくれましたが、今年は、犬山祭まで桜が咲いていてくれるでしょうか。まぁいつも同じ心配をしているのですが、桜があると無いとで、犬山祭の風情が大きく変わります。

犬山には、ほかに新郷瀬川、木曽川遊歩道、桃太郎神社、尾北自然歩道、薬師川や常福寺の枝垂桜、半ノ木川、さらさくら、入鹿池など桜の名所が数多くあります。特に、桃太郎神社では、売店のテーブルで花見をしながらビールとみそでんがくで一杯なんて最高ですね。

さて、2週間後は第374回の犬山祭。今年は、4月5日(土)、4月6日(日)開催されます。昨年は、桜が満開となり、犬山祭を彩っていました。

例年のお祭りのスケジュールは次のようになっています。特に、365個の提灯を飾り付けた夜車山は、見物です。全ての提灯にろうそくが点され、その炎が不規則にゆらぐ様はとても幻想的で、心が癒やされます。

4月第1土曜日(1日目) 試楽祭(しんがくさい)

07:50~09:00=各町(13町内)から針綱神社に向け車山出発
09:40~10:40=各町から車山が、針綱神社に集結
12:00~13:30=6輌の車山が順次からくりを奉納後、犬山駅西口へ
13:40~15:25=残り7輌の車山が順次からくりを奉納後、その場に待機
(城前広場)
18:05頃====車山7輌が365個の提灯を点燈
18:45~19:15=車山7輌が順次各町内に戻る
21:45=====各町内帰着
(犬山駅前)
18:30頃====車山6輌が365個の提灯を点燈
19:30~19:55=駅前組の車山6輌が順次各町内に戻る
21:45=====各町内帰着

4月第1土曜日(2日目) 本楽祭(ほんがくさい)

08:00~08:30=各町(13町内)から針綱神社に向け車山出発
08:40~08:20=各町から車山が、針綱神社に集結
10:00~14:55=13輌の車山がからくりを奉納後、6輌の車山が余坂へ(北組)
7輌の車山が犬山口へ(南組)
(北組)
18:30頃====北組の車山6輌が365個の提灯を点燈
18:30~18:55=北組の車山6輌が針綱神社に向け出発
19:30~19:55=北組の車山6輌が針綱神社に集結
20:20~20:45=北組の車山6輌が順次各町内に戻る
21:45=====各町内帰着
(南組)
18:30頃====南組の車山7輌が365個の提灯を点燈
18:40~19:10=南組の車山7輌が順次各町内に戻る
21:45=====各町内帰着

みなさんも是非、おいでになってみてはいかがでしょうか。春と秋の高山祭が有名ですが、春の高山祭は、屋台12輛、からくり3基、それに対して、犬山祭は、車山13輛、からくりはその全ての車山に設置されています。

犬山の心意気をあなたも感じてみませんか。

桜とともに例年心配なのが天気。2日のうち1日は雨に降られます。2日とも天気になってほしいものです。

2008年3月9日日曜日

絶好の祭日和 大縣神社 姫の宮豊年祭

今日は、春を呼ぶお祭り、姫の宮豊年祭が盛大に行われました。


姫の宮は、大縣神社末社の一つで、祭神は、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)と比買神(ひめがみ)です。





大縣神社境内にある一の池、二の池(宮池下、上とも言うようです。)の奥におそそ洞という秘境があり、そこには大きな天然の女陰磐境(いわさか)があります。


大縣神社の梅園を過ぎ、奥にしばらく進むと、池が二つ有り、鳥居を超えると右手に赤い鳥居が見えます。






その鳥居をくぐり、奥へと進むと姫の宮奥宮があり、女陰磐境(いわさか)が祀られています。





かつて、里の人たちは、春になるとここへ来て五穀豊穣を祈りました。

持統天皇の時代(645年~703年)に、祭神が社に奉祀されました。里人が倉稲魂神(倉神)様ととなえれば、いろいろな願い事がかなえられ、そのお礼に自分の年の数だけ松かさを糸につるして社前にお供えしたと言われています。

以前は、宮山で女陰の形をした松のこぶを切り出し、25厄の若者たちが神輿に載せて担いでいました。しかし、神輿の担ぎ手が居なくなり、現在は、男が42厄、61厄、女が19厄、33厄の祭りとなり、42厄の男たちが神輿を担いでいます。


前日には、42厄の人たちが神殿でお祓い受けた後、梅が見頃を迎え、多くの人々が見守る中、ふんどし姿で禊ぎを行っていました。




今年は、比較的暖かい中行われた禊ぎですが、ふんどし一つではさすがに寒く、「パパ~ がんばって!」とかわいい声援が飛んでいました。

祭りは、2月17日に行われていたのですが、男性の祭りとして有名であった田県神社の豊年祭と同じ日に行ってはどうかと、昭和25年名古屋鉄道から提案があり、協議した結果、田県神社と同じ3月15日を祭りの日とすることになりました。

名古屋鉄道の提案により、男性の祭りである田県神社の豊年祭りと同日に行うアベック祭りとして有名でしたが、今では、平日の開催が困難となったため、3月15日以前の日曜日に行うこととなり、数年に一度の同日開催となってしましました。ちなみに来年は、同日開催となり、一層の混雑が予想されます。

(参考:犬山市史 別巻 文化財 民俗編 776~777頁)


まずは、祈念祭からはじまり、子ども神輿、稚児行列、献餅車や花嫁パレード、神幸行列と続きます。今年の献餅は、市内に本社のある名古屋特殊鋼株式会社が行いました。




神幸行列は、大縣神社西方約1.5キロメートルにある諸钁(もろくわ)神社を出発点として、高下駄を履いた猿田彦(天狗の面)が先頭をつとめ、その後ろに61厄の人々が幟などを持ち、続いて42厄の神輿と続きます。



神輿の後ろには、先にわらを束ねた竹竿に、細く割った竹に色とりどりの紙を飾った「天馬」を持って、各町内の役員や年行事の人たちが一緒に練り歩きます。





境内に入ると、この天馬を目指して、皆が一斉に走り出し、奪い取ります。これを家へ持ち帰ると、1年間家内安全、無病息災の御利益があるそうです。




祭には、大麻(おおぬさ)や榊を背に乗せた神が乗る天馬(てんま)や神馬(しんめ)と呼ばれる馬が登場することがよくあります。

また、かつては、馬の塔(おまんとう)といわれる飾りを施した多くの馬が天馬(神馬)や神輿とともに練り歩き、祭りを彩っていました。この地方でもかつては、あちらこちらのお祭りに飾り立てた馬が登場していました。

あくまで私見ですが、現在の「天馬」は、時代の変化とともに馬の塔の飾りを馬でなく、人が持つようになり天馬と馬の塔が一体となり、飾りそのものを「天馬」と呼ぶようになったと考えられます。祭りに参加した人たちは、この飾りのことを「天馬」と呼んでおられましたが、昔は「馬の塔」という言い方をされていた人がいたことを記憶しています。

かつてこの天馬を境内まで持って行った人の話では、境内に入るやいなや人々がすごい勢いで奪い取りに来ます。眼鏡は吹っ飛び、後ろから引き倒されて服は破れ怪我をして大変な思いをしたそうです。前年の役員からは、「ともかく境内まで走れ。ただし、危険を感じたら天馬を放り投げて逃げる。」と言われていたそうですが、その光景を想像することができず、悲惨な目にあわれたようです。