2008年2月24日日曜日

今日は読売犬山ハーフマラソン

今日は、読売犬山ハーフマラソン。


2週間前にあった犬山国際友好シティマラソンの時も前日に雪が降り、コース確保に苦労していましたが、今日も、前日の雪が残り、強風と寒さの悪コンディション。コース点検をした結果、30分遅らせてのスタート。



10キロメートルにはゲストランナーとして有森裕子さんが、参加しました。スタート直後の集団で走っている姿は、撮影し損ねましたが、名鉄ホテル前に回り込み、運良くカメラに収めることができました。にこやかにとても楽しそうに、走っていました。







2月18日の中部読売新聞には、次のように報道されていました。






「愛知陸上競技協会は17日、24日に開催する第30回読売犬山ハーフマラソン(愛知陸協、読売新聞社、犬山市主催)の出場者を発表した。姉妹提携している豪州・メルボルンマラソンからの招待選手2人をはじめ、韓国、全国33都道府県から、昨年を約1000人上回る5845人が出場する。」


また、市内外のボランティアも500人以上が動員され、さらに警察や市役所の関係者などが大会の警備やおもてなしに参加されました。




発着点は、犬山の北端に位置する「名証犬山総合運動場」。

2週間前の犬山国際友好シティマラソン は、市民マラソンの位置付け。今回の読売犬山ハーフマラソンは、日本陸連公認コース(21.0975キロ)となっています。

大会終了後には、抽選が行われ、一般ハーフマラソン、10キロの出場者の中から1組2人が10月に行われるメルボルンマラソンに招待されます。

ずいぶん前になりますが、参加者に、あたたまっていただこうと言うことで、大会本部の要請で会場でたき火を企画したことがあります。その安全確保のために、わたしもボランティアで参加したことがありますが、当時は、ゼッケンが感熱紙でできており、たき火にあたりに来た人たちのゼッケンが真っ黒になって判別不能の事態に陥ってしまったため、この企画が中止になったということがありました。

何はともあれ、皆さんもこういった催しにボランティア参加されてはいかがでしょうか。終わったあと、昼間から飲むビールはおいしいですよ。家に帰って心地よく眠れます。

2008年2月16日土曜日

開花しました。大縣神社のしだれ梅

今日は、とても寒かったのですが、来週は読売犬山ハーフマラソン、次の週は所用でお出かけすることが決まっています。今まで、行きたいあるいは行ってみたいと思いつつ、寒さに負けて行けなかったところへ、思いきって行ってきました。

さて、まずは大縣神社。


大縣神社の梅園でしだれ梅が開花しました。昨年は、暖かかったため1月末に開花しましたが、今年は気温が低く、ほぼ例年に近い開花となりました。日当たりの良い斜面の白梅、紅梅が数輪咲いていました。







しだれ梅は、平成9年の御遷座2000年記念事業の一つとして境内奥に梅林公園を造成、植樹されました。約270本あり、毎年3月中ごろまで梅まつりが開かれ、大勢の人が訪れます。




ことしの梅まつりは、2月24日~3月16日に開催される予定です。例年、期間中の日曜日には週替わりで、お茶会、大正琴演奏、能、朝市などが行われています。



期間中の3月9日(日)には、豊年祭でにぎわいます。五穀豊穣・国家安泰を祈願する祭で、尾張に春を呼ぶお祭として有名です。かつては、3月15日に大縣神社、田県神社の豊年祭が同日開催され、大縣神社が女性、田県神社が男性の祭としてとても賑わいました。

近年は、大縣神社が3月15日の直前の日曜日に開催日が変わりましたので、同時に見られる機会が減ってしまい残念な思いがしています。しかし、御輿の担ぎ手などの参加者が確保できず、致し方のないことかもしれません。


ちなみに、現在の御社殿は、尾張藩主2代目徳川光友公が寛文元年(1661)に御再興された建物で、尾張造の構造様式を正確に伝え、特に御本殿は三棟造・大縣造と称され他に類をみない特殊な様式を構え、国の重要文化財の指定を受けています。


2008.02.16 の犬山遊歩 (上から順に)

開花しました。大縣神社のしだれ梅
古戦場、興禅寺、羽黒城址と山内一豊  (別ウィンドウ)
廃線モノレール、成田山そして東之宮古墳  (別ウィンドウ)

古戦場、興禅寺、羽黒城址と山内一豊

次は、名鉄小牧線羽黒駅周辺。

八幡林古戦場は、秀吉が犬山城に、家康が小牧城に本陣を置いて、8ヶ月に及ぶ激戦が続けられた最初の地。1584年小牧・長久手の戦いの前哨戦とも言うべき戦いがここで繰り広げられたのです、


名鉄小牧線羽黒駅南200メートル、犬山市立羽黒小学校東の所に林が残っています。






秀吉方、森武蔵守長可(森蘭丸の兄)の家来の野呂助左衛門と嫡子の助三郎がここで討死。この親子の戦いぶりと子が長く語り継がれ、現地には記念碑「野呂塚」が建てられています。記念碑は、八幡林の東、名鉄小牧線の踏切を渡ってすぐの所にあります。

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森長可の敗戦を聞いた秀吉は12万の大軍を率いて大阪を発ち、犬山城に入ります。一方家康は、小牧城に入り、ここに本陣を置きます。小牧・長久手の戦いの始まりです。

そこから北に位置する犬山市民文化会館から南の方向に目をやると、竹林が見えます。ここに羽黒城址があります。古墳の上に築かれた城で、城主は梶原氏、小牧・長久手の戦いの時秀吉はここの砦を修築させ、山内一豊らに守らせたと言われています。


羽黒城址の入口は、わかりづらく、竹林の西の道路を進んで、集合住宅と民家の間にある通路から入っていきます。


すぐ西隣にお寺があります。興禅寺です。鎌倉時代初期、源頼朝の家臣梶原景時もしくはその一族が菩提寺として建立したとされています。戦国時代の山内一豊の母法秀尼は梶原氏の出身と伝えられ、ここが出生地と言われています。


1584年の小牧・長久手の戦の兵火にあって焼失し、1596年に梶原屋敷内に再興されたもので、今もこの付近の地名を城屋敷といい、寺には梶原景時の首を葬った墓があります。また、先ほどの羽黒城の土塁がこの寺の北側の竹林に残っています。


NHKの大河ドラマ「功名が辻」(2006年)で一躍有名になり、全国各地から観光客が訪れるようになりました。

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2008.02.16 の犬山遊歩 (上から順に)

開花しました。大縣神社のしだれ梅  (別ウィンドウ)
古戦場、興禅寺、羽黒城址と山内一豊
廃線モノレール、成田山そして東之宮古墳  (別ウィンドウ)

廃線モノレール、成田山そして東之宮古墳

さて、最後は、犬山遊園駅周辺です。

犬山には、犬山遊園駅と日本モンキーパークを結ぶモノレール線があります。このモノレールは、成田山名古屋別院大聖寺、日本モンキーパークに駅が設けられ、ゴムタイヤでコンクリート製のレール上を跨って走る日本初の跨座式モノレールとして1962年に開業ました。


日本最古の跨座式モノレールでもあります。


しかし、今年の12月27日で営業を終え、廃線となることが発表されました。利用者数が極めて少なく、車両が開業当時のものを使用しており、施設の老朽化も進んでいることから存続は困難と判断して、廃止に踏み切ったとしています。


開業当時の車両を使っているため、冷房設備もありません。

30年ほど前でしょうか、記憶が定かではありませんが、かつては、モンキー友の会というのがあって、確か年500円の会費を払って会員証を発行してもらい、それを提示すれば、土曜の午後は、フリーパスでモンキーセンターに入場することができました。モノレールを使ってよく遊びに行った記憶があり、とても残念な思いでいっぱいです。


さて、今日の成田山名古屋別院大聖寺(通称「犬山成田山」)は、とても寒かったこともあり、人影はまばら。正月の混雑がうそのようです。ここの本堂の境内からは、犬山城と木曽川が見渡せます。



また夕焼けの名所でもあります。運が良ければ、真っ赤な夕焼けを背にした犬山城のシルエットを見ることができます。

その成田山の上には、東之宮神社があり、その境内には東之宮古墳があります。昔、モンキーパークへ行く方法として、モノレールのほか「おとぎ列車」というのがありました。成田団本堂裏に駅がありました。今でも、駅自体は残っています。その脇にある登り口から東之宮古墳を目指しました。


東之宮古墳は、白山平山(標高143メートル)の山頂にあるり前方後方墳です。ほぼ東西に長く伸びる白山平山頂の西端に位置しています。愛知県下でも最古の部類に属する古墳で、築造年代は3世末~4世紀初と考えられています。


昭和48年の発掘調査で、三角縁神獣鏡を含む鏡11面、石製合子2点、石釧3点、鍬形石1点、車輪石1点、ひすい製勾玉3点、管玉大小137点、鉄刀9点、鉄斧6点、針筒1点、鉄鏃6点などが出土し、すべて重要文化財に指定されています。


平成17度から再び範囲確認・測量調査などを行っています。将来は、東之宮神社を移転し、青塚古墳と同様、史跡公園として整備を進めて行く予定のようです。


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まだまだ、行きたいところがいっぱいありますが、今日はここまで。しっかり防寒対策をしていったため、かえって汗をかいてしまいました。

ところで、今日ある古い造りの商家の写真を道路から撮ろうとしていたら、通りかかった方から許可を取ったかどうか確認されました。人の感じ方や考えは、様々。気をつけなければと思う反面、どこまでお断りを入れなければいけないのか、わからなくなってしまいました。ただ、まちの風景とし残しておきたいと思ったのですが、それが慢心と言われればそうかもしれません。人を撮影するときは、かなり気を遣っているのですが・・・

2008.02.16 の犬山遊歩 (上から順に)

開花しました。大縣神社のしだれ梅  (別ウィンドウ)
古戦場、興禅寺、羽黒城址と山内一豊  (別ウィンドウ)
廃線モノレール、成田山そして東之宮古墳

2008年2月10日日曜日

雪の犬山城と犬山国際友好シティマラソン

昨日は大変な雪。路地には、凍った雪がたくさん残っています。

犬山は、昔から比較的積雪の多いところ。最近は、温暖化の影響か、雪が積もることが少なくなっています。わたしのが中学生くらいの頃には、長靴の丈を超えるくらいの積雪があったことを記憶しています。


今年の冬は、雪の犬山城を狙っていましたが、なかなか機会に恵まれなかったものの、今日はチャンスとばかり、いつも通りに目を覚まし、カメラ片手に出かけてきました。





昨日途中で、雪が雨に変わったものの、お城の屋根には雪が残り、白帝城と言うにふさわしい犬山城を見ることができました。




お城に登ると、眼下には白く輝く町並みや、山々が見え、いつもと違った趣の風景を堪能してきました。






さて、今日は、犬山国際友好シティマラソン。雪の影響で、開催が心配されましたが、10キロメートルのコースを5キロメートルに変更して、全競技行われました。10キロメートルのコースは、木曽川沿いを走り、とても美しい景色を見ることができるコースですが、日陰が多く、コースコンディションが保てなかったようです。過去にも、同じようなことがありましたが、参加者の安全を考えれば、妥当な判断だと思います。



市役所の人はもちろん、犬山陸上競技協会の方々や、まちの人たちが、コースコンディションを回復するのに一生懸命雪かきをしていました。今日の参加申し込みは、5,700人あり、実際に参加したのは、4,200人でした。



雪で、参加者が大幅に減ることが心配されましたが、多くの人々の協力のもと、例年と遜色がない数のランナーが犬山のまちを駆け抜けていました。




「がんばれ」「ファイト」「あと少し」と声をかけるまちの人。よく見られる旗を振った応援は無くとも、暖かい声援。


あと500メートルほどのところで、苦しくて、自分を鼓舞するために大きな声を張り上げる人。多くの人は、「ハー!ハー!と苦しそうな表情で、荒い息づかい。でも、ゴールをすると皆満足した顔ばかり。



大会を支える人たちの努力の甲斐あって、無事、マラソン大会を終えることができたようです。子どもたちの参加も多く、市民に親しまれているマラソンです。これからも続く事を願っています。

参考までに、1キロ,3キロのコースは、特にスタートの合図が無く、流れスタートのため、油断していると、知らない間に先頭が走り出しています。写真を撮る際には、ご注意を。

さて、2週間後は、公認コースを走る読売犬山ハーフマラソン。有森裕子さんがゲストで来ます。また、出かけようと思っています。

ところで、今日も帰りに本町通りの「山田五平餅店」に寄ってきました。店頭で「焼芋」を焼いていました。1つ100円で、お手頃な値段。食べてみると、アツアツでほくほくとしてとても甘いサツマイモ。小腹がすいたときには、うってつけです。いつもおいしい五平餅と両方食べても200円。温かいお茶とともに(セルフサービスですが・・・)、みなさんもいかがでしょうか。